FEATURE 12

PEACE ISSUE
特集「PEACEってなんだ!?」

おかげさまでフリーマガジンPEACEが誕生して、まもなく1年がたとうとしています。まったく個人的な思いで名付けたこの名前について、これまで色々な方たちに質問してきました。

「あなたにとって、PEACEとは何ですか?」

それはとてもありふれた、簡単で誰でも知っている単語です。そして広島に住む私たちにとって、それは子供の頃から何度も何度も耳にしてきた、いわゆる決まり文句のような単語です。ピースパークにピースウォーク、ピースメモリアルデイ、そしてイベントやパーティーでよく耳にする「LOVE & PEACE」。しかし悲しいことに、これ程多くの人々が求めているはずのPEACEが、全ての人々が実感できる類いの感情ではないことも事実です。私たちがパーティーで友人達の笑顔にかこまれ、心地よい音と自然の美しさを思う存分堪能し、まさに「PEACE」を実感しているその瞬間にも、別の場所では人と人が殺しあい、家族を焼き殺された悲しみと怒りに震えている人たちがいることも事実なのです。

時々考えます。もし、愛する人や兄弟、大切な友人を戦争やテロといった行為で殺されたとしたら?もしそれが自分の身におこったら、怒りや悲しみ、憎しみに心を奪われて、復讐したい欲望にかられるかもしれないと。「PEACE」などという言葉など、一瞬で自分の中から消えてしまうのではないだろうかと。実際、戦場で撮影された映像や写真を見ていると、そこにもし自分が居たら、やはり武器を手にとって、攻めてくる「誰か」を殺すことしか考えられなくなるかもしれないと思います。

けれど、それでも私は考えます。私たちは、そうやって戦う以外の方法を学ばなくてはいけないのではないか?それは、個人の感情的レベルだけでなく、組織として、国家として、進んでいかなくてはならない方向だと信じたい。そうでなくては、私たちはどう考えても、いつまでも殺しあいを続けなくてはならないような気がするからです。

8月に、あのマイケル・ムーア監督の最新作「華氏911」が日本でも公開される予定です。今世界中でくり返されている「殺しあいの理論」は、もしかしたら、ごく一部の人間のエゴと馬鹿馬鹿しいまでに偏った考え方によるものなのかもしれません。この映画の評判を聞いて、そんなことを思いました。実際に焼き殺したり、焼き殺されたりしている人たちの感情など、どこにも反映されてはいないのかもしれない。だとしたらなおさら、私たちは今、怒りの鉾先とその方法を学ばなければいけないのではないでしょうか?どんなに理論的に正しいふりをしていたって、どこかの国に爆弾を落としたり、飛行機でビルに突っ込んだりして多くの人間を殺すのはやはり間違っている。どんな理由があろうとも、です。

今回のPEACEでは、普段からPEACEを支えてくれているアーティストの方々に「PEACE」というテーマで作品や言葉を寄せていただきました。殺しあう以外の方法を、私はここに発見してほしいと願っています。

作品や言葉を寄せて下さったすべての方々に、心から感謝いたします。

PEACE!

2004年夏

Flow
(photographer)


悩んでいる時に、ニューメキシコの空を思い出すと気分がすこし良くなります。この写真は私に、私たちの存在はその意識の反映である事を思い出させてくれます。よりPEACEであるために。(Flo)

Kenta
(bar koba )


今回のテーマ、かなり悩んでいらっしゃいましたね。でも、これ、私ですよね…。(nao)
Miho
(イラストレータ−/ジュエリーアーティスト)


只今中国は青島にてジュエリーアーティストとして奮闘中のMiho。内面のPEACEが感じられます。(nao)
Dannette
(International Love Cafe promoter)


人々が、アメリカのイラク侵攻を阻止するため、また平和な世界を願うために原爆ドームに集まっている様子を写したものです。原爆ドームは、憎しみや破壊行為をこれ以上続けてはいけないということを私たちに思い出させてくれます。この写真は、少しの努力と愛情が、もっとも憎むべき醜い人間の行為をも美しく変える事ができるということを私たちに教えてくれます。
Bom
(bar koba)


みんなでPEACE パーティ−やってるイメージ。楽しそうでしょ!?(Bom)
Keiko
(photographer)


この表情を見ていると、PEACEな気持ちになり、またそれを願う気持ちになる。(Keiko)
DSK
(イラストレーター)


独特のセンスはさすが。(nao)
HIDE
(3pi/SANSO)


ベトナムで会った少年です。この笑顔…PEACE! (HIDE)
MOTOKI
(WEBデザイナー/Motoki Design)


PEACE Tシャツ作りました。良く見ると「ピース ピース」って書いてあります。(Motoki)
Rebecca
(photographer)


Peace: Under Construction
(PEACE工事中)
この写真は2001年11月に撮影したものです。 ちょうどそのころ、この「貞子の像」は修理のための工事中で、訪問者は持ってきた折り鶴を工事現場へ置いていくしかありませんでした。世界中の人々が、まだあの9.11のショックから立ち直れずにいた頃でした。そしてアメリカはアフガニスタンへ攻撃を開始しようとしていました。そんな時、私はこの貞子像の前でまっぷたつになってしまっていた「PEACE」の文字を見つけたのです。それはまさにその頃の世界情勢を表しているかのようでした。あれから3年がたち、二つの戦争がありました。貞子像の修理は完了しましたが、私たち人類はいまだに平和な世界を修復中です。それでも、私は希望をすてないでいたいと思います。貞子のように。
MASA
(PEACEデザイナー/イラストレーター)


母親のぬくもりはもっとも根源的なPEACEだと思います。
nao
(PEACE editor/photographer)


ピースパークを毎日自転車で通ります。朝も昼も夜も、夏も冬も美しい場所です。

Paul

私たちの住むここ広島では、「PEACE=平和」という言葉は、あまりに良く聞かれるお決まりの言葉ですが、時々、それは一種の決まり文句になっていやしないか、そしてほとんど無意味な言葉として使われているのではないかと危惧します。「PEACE」は、まず個人の内側から生まれてくるものでなければならないと言われています。それなくして、個人と個人、グループ対グループ、果ては国家間の平和の発展はありえないと。私は、個人的な小さな「PEACE」を軽んじるつもりはありませんが、その事がより大きな意味での「PEACE=平和」に繋がる出発点であるということを忘れてはならないと思います。

暑くなってくるにつれて、私たちの心はこれからあちこちで行なわれるパーティーやイベントの事でいっぱいになってきます。(私たちが一緒に楽しむ)それらのパーティーでは、「PEACE」という概念が大変強く感じられ、時に、私たちは自分の内側にある「PEACE」に従って踊っているだけではなく、「PEACE」そのもののために踊っているように感じられることもあります。このフリーペーパーを読んでいる読者の皆さんは、私も含めて皆、生まれながらにして「平和」の中でそれを享受して生きている幸せな存在だと思います。しかしながら、本当に「PEACE」が意味するものを必要としているのは、今現在、その中にいない人たちではないでしょうか?そして、「PEACE=平和」という言葉を、無意味なスローガンにしてしまわないために、私たちはそのような人たちにむけて言葉を発していかなくてはならないと思います。

「平和な状況にない人たちのもとに、PEACEを少しでも近付けるために、自分は最近何をしただろう?」そう自分自身に問いかけた時、私は、少し恥ずかしくなります。もし皆さんもそうなら、そんな気持ちを少しでも行動にしていくべき時なのではないでしょうか?

 

かいさく
ピース、 平和、という言葉を聞いて何を思うだろう。

広島に住む者にとって、一番に思うのは、原爆、戦争、NO MORE HIROASHIMA。

それは、忘れてはいけない、しかし悪いイメージだ、BADだ。

平和という言葉はもっと素敵なはずだ。

平和の「平」の字は、平等の「平」、誰一人として、先に出ず、おくれる者がいれば手を差しのべる。

「和」とは、一人では、和する事は出来ない。

人と人、合手がいて、調和、バランスが産まれる。

先日、友人から「音やりましょう」とさそわれ、音をした、音楽だ、JAMだ。

そこに着くと、何人かの楽器を用意した友人達が「やろう、やろうや」と、まっていた。

一人、また一人と音を出す。皆、ルールめいた事は言わない。

ただ、音がなっている。その音に合わせて僕も音を重ねた。

皆が楽しんでいた。

皆が皆のリズムに合わせて。

peace,開作より